隔離されることに思う その1 〜伝染病をみる〜

「隔離患者と追放」 昭和26年7月23日 第29号 40〜43ページ
井手成三(土地調査委員会委員・元文部次官)より

「隔離患者と追放」、これは、とてもタイトルが目を引いたコラムでした。「隔離患者」と書かれていて、まず思ったのが、「きっと当時にはやっていた感染病の様子をみて思ったことが書いてあるのだろう」…と思って一段落目を読んでみると、どうも違う、どうやらこの人が隔離されたのだと分かり、驚きました。

それが過去のことだったにせよ、「感染病にかかりました」と雑誌で身分を明かして述べるなど、なんて剛胆なひとかと思ったのですが、もしかしたら今とは違ってプライバシーの感覚がほとんどないせいかもしれません。ネットもない時代なので歩いた道すがら個人を特定されることもないとはいえ、なかなか思い切った内容を書いたものだと思います。

 

さて、医療が今ほど整っていない時代、ちょうど昭和26年4月に結核予防法という法律が作られ(昭和26年4月13日号(第19号)参照)、予防と患者の把握、医療など画期的対策が整えられました。感染症である結核にたいして法整備がなされてまだ3か月、私たちが想像するよりはるかに感染症が身近なものであったはずです。その時代の彼らは、どのような意識で接していたのだろう、また、そこに「広めない」ための方策があるのではないか、と思い、読んでみました。

 

「満州支那の長期旅行から帰ってから間もなくの事であった。のどがいたみ、胸のあたりがホノ赤くなり、微熱が続くので、近所の医師にみてもらうと猩紅熱とのこと。『但し、みかたによりますと気管支カルタの一寸程度のつよい奴ということも言えますかな』と意味深長なことをつけ加えて暗に自宅療養を勧めてくれたが、伝染病を隠ぺいするようなことは、私の遵法精神が許さないし、実際問題として、家庭には小さな子供もあり、隣り近所にも小さなお子さんが沢山おられるので万一、私がもとで蔓延でもしたら取り返えしがつかないことになると、早速、所定の届出をして隔離されることにした。」

 

暗に自宅療養を勧める医師の姿に、そして葛藤とまで行かないまでも、井手氏が自身で状況を分析して届出をするまでの思考に、生々しさを感じます。

私はこれまで全く知りませんでしたが、大人の猩紅熱はほとんど症状がないということで、2か月ほど安静にしているだけという処置だったと記されています。しかし、“1坪ほどの狭い天地から一歩も”出られず、行きたいところへどこにも行けず、外に手紙も出せず、部屋も何も面白みもない。井手氏が本に慰みを見つけたのは幸いだと言えるものの、そうでもない人はどういう心地を味わったのでしょうか。牢獄のように娯楽もなく、狭く、つまらない場所で、しかも他の感染病患者がたくさん一緒の病棟にいる。私ならば、隔離の意味を忘れてうっかり抜け出して外を歩きたい衝動に駆られてしまうかもしれない、と思ってしまいます。人の使うスペースというのはいつの時代も、狭ければ多大なストレスを生むものです。

 

「病床で、いつも考えていたことだが、退院したら、早速、こんな不合理を排除するために、猩紅熱のような病気が何が故に法定伝染病になっているのか、せいぜい百日咳のようなものではないか、その法定伝染病の枠の再検討を当局に要求したい。仮に法定伝染病の枠に残さなければならないにしても、一律に隔離せられることはどうか、家庭その他の消毒方法はどうか、少くとも伝染病を重伝染病と軽伝染病にわけて取扱上の区別をはかる法制確立を叫ばなければならないと強い義憤にもえていた。
退院してから、折にふれ、このような考え方を関係の人に話して見たこともあったが、あまり重視もされず、時がたつに従って、つい私もおこたりがちになり、そのままになってしまった」

 

そして、意外なことに後半こそが本題でした。話題はいつの間にか、「公務従事に適しない者」が公職から追放された「公職に関する就職禁止、退職等に関する勅令」いわゆる「追放令」に移ります。

結局、感染症もとい伝染病に関する記述が多かった割にそれはほんの比喩だったわけですが、さて、われわれは伝染病に対してどの程度、抵抗する知恵と思考を持ち合わせているか、どのような体制を敷いているか、気になってきませんか?

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