隔離されることに思う その2 〜追放令を考える〜

その1でご紹介していたように、井手氏は、追放令が伝染病と同じであると論を進めていきます。

「重追放と軽追放との区分くらいあった方が、公平に合するものではないか」

「大体の傾向から見て自由社会復帰は差し支えなしとの判定の結果、そのかげにかくれて、飛んでもない人物までが大手を振って解除され、ひどい害悪を平和社会へまきちらすおそれなしとはしない」と怒りを表しています。

しかし、「少ない側が、強い伝染力を持ち、激しい病毒をもっているが故に、他のそうでない大部分のものが、法定伝染病として極端な厳重な隔離のもとにくらさなければならないということになったら、この人達にとって実に不幸なことである。しかしまた、これらの人達のために寛大であろうとする結果、少数ではあっても、ひどい病きんが一般にまきちらされるということになったら、一般社会にとって、また忍び得ないところであろう」と、追放令該当の人を伝染病患者にたとえた井手氏は、巻き添えになった人の身の上を、不幸なことだと同情しつつも、為政者にとっての取扱いの難しさにも思いを致しています。

さて、ここまで読んだところで、どうも害悪と見なされた人とそうでもない人が一斉に規制にかけられて、規制自体は悪くないと考えつつも実際に複雑な思いを抱いているようなのですが、これだけでは当時の様子がはっきりとはわからりません。そこで、私には聞き慣れない、しかしどこか聞き覚えのあるような「追放令」、はたしてどういうものだったのかを調べてみました。

 

時の法令第28号(昭和26年(1951年)7月13日号)の1ページ〜「第二次追放解除はどう行われるか?――今次追放解除の特徴と個人審査の基準と内閣官房岡田監理課長に訊く」を見てみます。

冒頭に、こう書かれています。「リッジウェイ声明によって、政令改廃に関する審査が日本政府に許されると、まず第一に追放解除の問題がとりあげられた。これによって一般公職追放、教職追放、労働追放が大巾に解除されることとなり、」この声明は、日本政府の勅令や政令や法律に関する再検討の権限を許したもの、と記されています。

つまり、日本政府としても国民としても、ずっと問題と見なして解決を待っていた案件であるのがうかがえます。

「課長に訊く」を読み進めていくと、なんとも複雑で興味深いものでした。まず、指定理由というものがあり、それに該当することで人は追放を受けます。その指定要件はいくつもあり、人によってはいくつも該当することになります。例えば、銀行の頭取、戦犯者、経済関係者、メディア関係者、大政翼賛会の支部役職員、推薦議員、国家主義者など。また、その三親等内の親族及び配偶者も、です。この問答で論じられている「指定解除」は、その指定のいくつかが解除されるということで、複数指定されているような人は完全に指定がなくならないこともあるのです。

数次の追放解除や指定解除によってその規制はほどかれていったのですが、解除のための審査も複雑さゆえに論議をかもし、対処の方法を段階に分けて作ったりしたために、指定理由がつけられてしまった人は不安定な立場にずいぶん長いこと置かれていたと察せます。

さて、この「隔離患者と追放」について書かれたのが7月はじめと考えると、先ほど紹介した第28号の岡田課長の答えによれば、指定要件の解除は7月下旬。ちょうど「追放令」についての議論があつくなり周知されていくような時期と推察されます。きっと、当時の人にしか理解できない追放された人の現状や苦悩などをみたうえでの思いを述べているのでしょう。

井手氏の意見を考えてみますと、確かに、指定要件を一斉に解いてしまっては「害悪」も拡散していくかもしれない、しかし、それは何にとってのどんな「害悪」なのでしょうか。社会に対して良からぬ思想をまきちらさないため――そのような可能性をおそれて無害な人たちをひっくるめた規制をほどこしてしまった「追放令」に対して、私はおそろしいような気持ちを抱きます。今では、人権侵害だ!ということになるのかもしれません。(Y)