時の経済 “経済安定本部の三羽ガラス”稲葉秀三氏の「人口問題の再認識」

時の経済 “経済安定本部の三羽ガラス”稲葉秀三氏の「人口問題の再認識」
昭和26年(1951年)9月23日(第35)号

サンフランシスコ講和条約を結び、賠償金や外国人財産の返還や、さらには「再軍備」(注:筆者の言)にかかる負担金の具体的な話が持ち上がっている頃の記事です。

「貧乏な日本にとっては相当重荷となる借金である」

「さてここであらためて振り返られるのは日本の人口問題である。これまで米国の援助によってどうやら八千万の人口を養ってきたのに、これからはいよいよ自前でやらねばならぬ。講和によって過重された負担をかかえてそれが可能かどうか。…講和をきっかけに人口問題の深刻さが再認識されはじめたあらわれだといえる。」

 

サンフランシスコ講和条約締結で、米国の援助で養ってきた多すぎる(?)人口をどう養うか、という「人口問題」が当時深刻に捉えられていたのが分かります。

現代では、もはや日本国民は1億人を超えているのが当然と思うようになり、それ以下になったらとても少なすぎるのではないかと考えるような風潮があります。一方で、1951年の当時、8,000万人でこれはとても多すぎるからなんとかしなければと、必死で人々が考えていたのかと思うと、不思議な心地がします。取り巻く状況が違うから、と言ってしまえばそれまでですが、人口問題は常に人々の頭を悩ませているもののようです。

現在の人口問題でよく話題に挙げられるのが、少子高齢化による社会保障負担の増加、働き手不足の問題、消滅都市の問題、など多岐にわたります。

では、1951年当時、一体どのような事象が問題ととらえられていたのでしょうか。
目次タイトルからざっくりと見てみると、以下のようになります。

 

・四つの島の八千万人
・人口は何故ふえる
戦後の引揚げや復員による社会増加、昭和22年以降の自然増加。
占領軍による「衛生思想の普及」による死亡率の低下予想。
・移民と避妊の効果
・解決容易ならず

「移民も結構だ。避妊も大いに普及させねばならぬ。しかもその効果が右にみたとおりだとすると、人口問題は結局解決できないものなのか。たびたび引合いに出す『人口白書』は、その解決方策を輸出工業の振興による人口扶養力の増大に求めている。理窟からいえばその通りにちがいない。耕作面積がせまく、天然資源に乏しい日本では、その外の方法がある筈はなく、明治以来の人口の増大もそうした日本の工業的発展によってのみ可能であったわけだ。だが産業革命の若々しい時代はすでに昔の夢である。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、こうして見てみると、この時代も同じ「人口問題」に悩んでいて、人口が多すぎるから移民と避妊を推奨する、という現代とは真逆の状態で真逆の解決方法を思いついているところが、興味深く、何とも言えない感覚をもちます。現代で、必死で有能な人材に外から来てもらって働き手を増やそうとしているのとは実に対照的です。

しかし、この記事ではあからさまに、「零細の農家では働き手のために子どもを産むのはしょうがない」、という趣旨のことを述べている箇所が少々気になります。農家が家族経営で成り立つべきもの、という認識が広く行きわたっていたのが伺えるとともに、今、農業従事者が超高齢化している実態を考えてみると、この認識は今でもそれほど変わっていないのではないかと思えるのです。
(Y)