昭和28年の移民政策

昭和28年(1953年)2月上旬号(第87号)28ページ
「移民のあっ旋所新設と在外公館の整備」
外務省設置法の一部を改正する法律(二七・一二・二六公布、法律第三三一号)
在外公館の名称及び位置を定める法律等の一部を改正する法律(二七・一二・二六公布、法律第三三二号)

 

前回、昭和26年9月号の「人口問題の再認識」というコラムについて書きましたが、今回は、その「人口を減らす」ための政策の一つとして挙げられている「移民」について詳しくみてみます。

まずは、今回の解説についてみてみましょう。

以下は外務省設置法の一部を改正する法律(二七・一二・二六公布、法律第三三一号)を解説したもので、当時の状態がよくわかります。

 

「1 ブラジル、アルゼンティン、ペルー等の南米諸国には戦前多くの移民が渡航し、現にそれら諸国に定住している邦人が多いが、昨年これら諸国との国交回復に伴い、まず、ブラジルとの間に移民受入の話がまとまり、今後他の諸国との間にも同様の交渉が進められるような状態にあるので、…外務省に神戸移住あっ旋所を設けることとなった。」

「これは、戦前移民の盛んだった頃、拓務省にあった移民教養所を新たに外務省に復活したものであって、その趣旨も従前のものと同様である。具体的に行う事務としては、移住先の諸事情の解説、語学その他必要な教養の付与、旅券の発給申請その他の渡航手続の世話等のほか、船待ち期間の宿泊の世話まですることになるようである」

 

驚くべきことに、移民を希望する日本人に対して、たいへん細やかな手配と世話をしています。当時の政府は、よほど移民として送り出す必要性を感じていたということでしょう。

特に、具体的な事務として挙げられている、「移住先の諸事情の解説、語学その他必要な教養の付与」を見るに、どんな人でも「行きたい!」と思った人なら政府のサポートのもと、それほど気負うことなくある程度の知識を持って出発できることになります。

この制度をつかって、まるでアメリカンドリームのように、南米で開拓者となり成功することを夢見た人が多くいたことでしょう。

こうした移民政策によって、期待するほど多くの人が移民になるかというと、そうでもないような様子があるのですが…(「人口問題の再認識」参照)

 

ところで、日本人を移民として送り出すどころではなくなった現在はというと、グローバルな人材育成と地方の国際化の政策を打ち出しています。「地域の国際化を推進し、国際的な視点を取り入れた地域活性化」「地域における留学生交流の促進」などの地方創生の事業に予算をつけているのを見ると、海外にいったきりになる人を支援するのではなく、ちゃんと日本に戻ってきて海外の視点を入れるような人を支援するようにと、シフトしているのが分かります。

(Y)