法令とことばの生活 山岐善麿(国語審議会会長・文学博士)

<法令とことばの生活 山岐善麿(国語審議会会長・文学博士)>
昭和26年3月23日、第17号 18ページ

コラムを読むと、必ず新しい発見があり、面白く感じます。特に初期のものは法律というものについての根源的なものを考えるテーマが多く、深い学びにつながります。

今回ご紹介するのは「法令とことばの生活」。法をかたちづくる「言葉」の専門家、山岐善麿(国語審議会会長・文学博士)氏の書いたコラムです。

 

国語審議会の会長を務める氏は、肩書きのとおり国語の専門家で、法律についてはよく知らないが、憲法は少しなら知っていると述べています。

また、氏は、ちょうど国語審議会の法律用語及び公用文の部会で、法令の用語用字(この時代は「用字用語」といわないらしく)の改善についての建議案をまとめたことを紹介して、その改善でどのようにしたいのか、考えを述べています。

 

例えば、

新しい法令には平易な用語用字が用いられているので、ふるい法令の用語用字もこれに改めたい。

同じ意味を持つもので、法令によって異なる用語があるので統一したい。

ふるい法令で、当用漢字表になく適切でないものやまぎらわしい法律用語は、適切なものを考えたい。(控訴と公訴、勾留と拘留など)

これからの新しい法律は、二字重ねの熟語や、言い回しや、旧かなづかいをつとめて平易にしたい。(抽籤をくじびき、欺瞞するをだます、罷免するを免ずる、希求するをこいねがう、など)

 

さて、この国語改善がどのような意味を持ってくるかというと

「これは、その部会のとり扱う法律法令の範囲に限ったことであるが、もっとひろく官庁一般について考えてみると、国語改善のことが社会生活の民主化を促進する上からも、文化水準を高める上からも、実務の能率化を図る上からも、もっと徹底的に理解され、推進されなければならないはずである」

「(より平明な判決文ができたことをみても、)やろうとすればやれる証拠であり、ことばの生活というものは、結局、それを使うものの「態度」の問題となるわけである。…どのように知らしめることができるかをじゆうぶんに研究することが、同時に、ことばの生活に密接にむすびつく」

 

とても、熱心に「知らしむ」への道筋をつくろうとしている様子が伝わってきます。

誰もが同じように言葉を理解し、誰もが言葉を使って意思伝達できるというのは、当たり前のようでいてそうではなく、このような細やかな配慮と努力がなされていたのです。

そして、その熟慮の末にうまれた平易さによって、国民の社会生活というのも、自分たちが声を挙げることができるというので、より良くなることが期待される。

ことばには、そのような願いも込められていたことを考えさせられると、私たち国民ひとりひとりが生活、つまり自分の生きる社会について関心を持ち、まさにそこに生活していることをしっかりと自覚しなければならないと感じます。

言葉を使うことは人と関わること、人と関わることは伝え合うことでもあります。自分の考えやふと思ったことをただただ押し付けるのではなく、相手の理解のしやすさ、伝わりやすさにも配慮していきたいものです。

ただ、法律が平易な言葉に完全に置き換えられたかというと少し疑問があるほど、理解のしにくい文はあります。氏曰く、「結局は伝えるものの態度の問題」だそうなので、時代を経るごとにより分かりやすくなっている…はずですよね。

一方で、「このように平易にしたい」と書き述べられていた言葉が、案外今の時代にふつうに使われていたりするところに、少し面白みも感じているところです。

(Y)