「ラテン語法格言めぐり」(柴田光蔵:京都大学名誉教授)は、50回を超える長期連載です。
連載をたどっていくと、ローマという国の偉大さを感じずにはいられません。
第25回“最高の正は最高の不正”(2012年(平成24年)10月15日号〔第1915号〕)
「正」や「法」、また「理」を、とことんまで追い求めると、皮肉なことに、「不正」や「不法」、また「非」にかえって陥ってしまう。
第33回“もう一方の側も聴かれるよう”(2013年(平成25年)6月15日号〔第1931号〕)
ある主張に対してもう一方の側の主張があり、それらの主張がすりあわされてこそ事案の正しい理解と訴訟的判断が生まれる。
第39回“行わないことも、行うことである” (2013年(平成25年)12月15日号〔第1943号〕)
行うべきことを行わない者は、行わない以上は、それら(義務)に反して行うものと見られる。なぜならば、行わない者は、行うつもりがない、ということを行うからである。
第49回“形式はものに存在を与える”(2014年(平成26年)10月15日号〔第1963号〕)
物事がその存在を他からちゃんと認めてもらうためには、まず、形式(所定の様式)をきっちりと踏むことが必要である。
連載をたどると、共和政期から帝政期へと移りゆく中で法格言がどのように変化していったかを知ることもできます。
帝政期であっても、限界状況でない限り皇帝は事実上、法律に従うことになっていたといいう事実には、刮目させられます。
「目には目を」的な刑罰を残しつつも、“法”を洗練させ、法の基盤を育んだ国の片鱗が伝わってきませんか?
(C.S)