マッカーサー元帥の「警察力の増強」に関する書簡と海上保安庁の強化

創刊号(昭和25年(1950年)11月3日号)を見返していたときのことです。
15~17ページに「マ元帥書簡にもとずく海上保安庁法等の一部を改正する政令(昭和25年政令第318号)」(西村健次郎・法制意見第三局長)を見つけました。

「去る7月8日、朝鮮事変の発生により緊迫の度を加えた情勢を背景として発せられたマッカーサー元帥の内閣総理大臣宛「警察力の増強」に関する書簡は、いろいろ話題となった警察予備隊を誕生せしめたが、同書簡で同時に触れている海上保安庁の強化については、…去る一〇月二三日附公布の「海上保安庁法等の一部を改正する政令」という、いわゆるポツダム政令で実現の第一歩をふみ出した。」

マッカーサー元帥の書簡は、海上保安庁が日本の海岸線を不法な入国や密貿易から守るために、より大きな部隊を用いる必要があると指摘して「日本政府に、海上保安庁の定員を現在許されている数より八千人増加することについて必要な諸措置をとることについての権限」を与えた、とあります。これを受けた海上保安庁法の改正です。

まず、あれ?と思ったのは「法律」を「政令」で改正していること。現在は、法律は法律によってしか改正されません。
調べてみると、「ポツダム政令」とは、「ポツダム宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件」〔通称:ポツダム緊急勅令〕(昭和20年(1945年)勅令第542号)に基づいて発せられた「ポツダム命令」のひとつであることが分かりました。

ポツダム緊急勅令は、大日本帝国憲法第8条第1項の「法律に代わる勅令」に関する規定に基づいて昭和20年9月20日に公布され、即日施行されています。連合軍の要求が「命令」のかたちで国民に伝えられていたわけで、まさに連合国による日本の「間接統治」の典型です。

次の「あれ?」は、執筆者が「法制意見第三局長 西村健次郎」となっていたことです。
「法制意見第三局長」は内閣法制局の役職とは違うのだろうか? あれこれ調べたことを総合すると、昭和23年(1948年)に「法制局」は廃止され、昭和23年(1948年)に司法省と法制局を統合して「法務庁」となっています。その法務庁の法務総裁の下に「法制長官」と「法務調査意見長官」が置かれ、法制局の所管を引き継いだようです。西村氏は、この法務調査意見長官の下にありました。その後、何度か組織改革を経て、「内閣法制局設置法」(昭和27年(1952年)法律第252号)により、内閣に法制局を設置。1962年(昭和37年)に「内閣法制局」という名称になりました。

最後に「法令解説」に載った「海上保安庁法」の改正を追ってみました。

○昭和27年(1952年)7月3日号〔第64号〕
 海上保安庁法の一部を改正する法律(昭和27年法律第97号)
  タイトル「海上警備隊の新設」

○平成14年(2002年)2月15日号〔第1659号〕
 海上保安庁法の一部を改正する法律(平成13年法律第114号)
  タイトル「テロ対策関連3法―不審船を確実に停船させるための武器使用の拡充」

○平成24年(2012年)12月15日号〔第1919号〕
 海上保安庁法及び領海等における外国船舶の航行に関する法律の一部を改正する法律(平成24年法律第71号)
  タイトル「海上保安官の執行権限の充実強化=遠方離島における犯罪対処、外国船舶への速やかな領海外への退去命令等が可能に」

時代の変遷を感じます。
(C.S)